佐藤裕子

曖昧さ回避 この項目では、元バレーボール選手について記述しています。日本文学者の同名の人物については「佐藤裕子 (日本文学者)」をご覧ください。
曖昧さ回避 サトウヒロコ」、「佐藤寛子」、あるいは「佐藤宏子」とは別人です。
佐藤 裕子
Hiroko Sato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1957-01-12) 1957年1月12日(67歳)
出身地 広島県福山市
ラテン文字 Hiroko Sato
身長 182cm
体重 72kg
血液型 O型
選手情報
愛称 マッハ
ポジション センター
指高 232cm
利き手
スパイク 303cm
ブロック 292cm
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佐藤 裕子(さとう ひろこ、1957年1月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。

来歴

広島県福山市出身。高校1年よりバレーボールを始める。松永高校を経て、1975年に実業団リーグの東洋紡守口(当時)に入部。

日本リーグ昇格後の1981年、第14回日本リーグでのチーム準優勝に大きく貢献し、敢闘賞とベスト6賞を獲得した。またチーム主将を2シーズン務めている。東洋紡監督の石川春樹は「冷静沈着で包容力がある、誰もが親しみを感じる」と評している[1]

1981年、全日本入りを果たし、ワールドカップに出場、銀メダル獲得に貢献した。

球歴

  • 所属チーム履歴
松永高校東洋紡守口/東洋紡(1975-1982年 )
  • 全日本代表 - 1981年
  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴
  • 受賞歴
    • 1981年 - 第14回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6
    • 1982年 - 第15回日本リーグ ベスト6

脚注

  1. ^ 月刊バレーボール1982年1月号臨時増刊 '82チームの顔 88ページ(日本文化出版刊)

参考文献

  • 月刊バレーボール1980年1月号臨時増刊 '80チームの顔 70ページ(日本文化出版刊)
  • 月刊バレーボール1981年1月号臨時増刊 '81チームの顔 102ページ(日本文化出版刊)

外部リンク

日本リーグ女子敢闘賞
日本リーグ
1960年代

67 高山鈴江 / 68-69 松村勝美 / 69-70 浜恵子

1970年代

70-71 浜恵子 / 71-72 飯田高子 / 72-73 岩原豊子 / 73-74 飯田高子 / 74-75 白井貴子 / 75-76 横山樹理 / 76-77 前田悦智子 / 77-78 横山樹理 / 78-79 江上由美 / 79-80 清水睦子

1980年代

80-81 佐藤裕子 / 81-82 小川かず子 / 82-83 水原理枝子 / 83-84 田渕良子 / 84-85 松並早苗 / 85-86 梅津一美 / 86-87 ローズ・メジャーズ / 87-88 大林素子 / 88-89 中西千枝子 / 89-90 松下晃子

1990年代

90-91 石掛美知代 / 91-92 高山佳代 / 92-93 中西千枝子 / 93-94 山内美加

Vリーグ
1990年代
2000年代
V・プレミア
リーグ
2000年代
2010年代
V.LEAGUE
DIVISION1
2010年代
2020年代
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1981 ワールドカップ 2 2位
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