関西大学短期大学部
関西大学短期大学部 | |
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大学設置 | 1950年 |
創立 | 1944年 |
廃止 | 1959年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人関西大学 |
本部所在地 | 大阪府大阪市大淀区長柄中道2-10[注釈 1] |
学部 | 商工経営科 第一部[注釈 2] 第二部 |
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関西大学短期大学部(かんさいだいがくたんきだいがくぶ)は、大阪府大阪市大淀区長柄中道2-10[注釈 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、1959年に廃止された。
概要
大学全体
- 大阪府大阪市大淀区[注 1]に所在した日本の私立短期大学で、設置主体は学校法人関西大学[1]。
- 国内で最初に認可された短期大学149校[注 2]の1校として、1950年に昼間部・夜間部各1学科体制で開学した[2]。
- 1955年度の入学生を最後に[注釈 3]、短期大学としての使命を終える[注 3]。
- 関西学院大学、関西学院短期大学(ともに運営者は学校法人関西学院)、1940年4月 - 1942年2月に存在した関西高等工業学校(現在の大阪工業大学、運営者は現在の学校法人大阪工大摂南大学)とは別法人。
- 当時の入学試験については、右記資料に記載がある[6]。
建学の精神(校訓・理念・学是)
- 関西大学を参照。
教育および研究
- 商工経営科が設けられていた。「商業経営学」・「工業経営学」・「簿記会計」・「商業概論」・「財政学」・「工業数学」・「貿易英語」・「工場管理」・「設計製図」・「商業演習」・「工業演習」など商業と工業に関する科目があった[7]。
学風および特色
- 『関西大学短期大学部設置要項』によると、設置目的は広く一般的教養のための知識を授けるとともに、商業経営及び工業経営に関する専門職業に必要な実学的学術を教え、知的かつ道徳的および応用能力を展開させることとなっている[8]。
沿革
- 1944年
- 関西工業専門学校(天六学舎)が以下の学科体制にて開学。
- 機械科
- 一般機械専攻
- 舶用機械専攻
- 航空機械専攻
- 機械科
- 関西工業専門学校(天六学舎)が以下の学科体制にて開学。
- 1945年
- 終戦により航空工学の研究禁止。航空機械専攻は繊維機械専攻へと移行。
- 1949年
- 1950年
- 1951年
- 1954年
- 1955年
- 1958年
- 4月1日 関西大学工学部開学。
- 1959年
設立の背景
- 1942年頃から日本の敗色が濃厚となり、政府・軍は文科系教育よりも理工系教育を優先するようになった。この年の11月頃から関西大学は理工系学部の増設の準備を始めたが、1943年には文科系の大学生、専門学校生の徴兵猶予の恩典が廃止となり、文科系の大学、専門学校の定員は半減以下とされることとなった。これでは大学として存続し得ないので、結果1944年に工業専門学校を開学した。この年の文系学部、専門部の定員は従来の1/3となった。
- 関西大学は新制大学発足の際の課題として、以下のものががあった。
- 法学部、経済学部の新制移行
- 戦時中に廃止された文学、商学専攻を復活し、文学部、商学部の設置
- 旧制専門部を一部二部とも新制大学に昇格
- 高等工業学校の工学部への昇格
- ただ、新制大学移行時に高等工業学校は施設の不十分さ故に工学部の設置が認められなかったため、やむを得ず短期大学部を設置することになった。なお工学部が設置された当初も、各科の実験場は50坪しかなく、設備の充実さは他大学の理工系学部と比べて大きな差があった。だが「男子の短期大学は日本の国情に合わなかったせいか充分の発展をみることが出来ず、1956年度には学生募集を停止した[3]」となっている[注 12]。また開学の1950年以降、日本の工業は長足の発展を遂げ、技術者不足の声は巷に満ち、関西大学OBの間には工学部設置の要望は非常に強かったことには留意する必要がある。その後、設立された工学部は建築学科や生物工学科など11学科を擁すまでになり、2007年に学部再編を迎えた。
基礎データ
所在地
- 大阪市大淀区長柄中道2-10[注釈 1]
象徴
- 関西大学を参照。
教育および研究
組織
学科
専攻科
- なし
別科
- なし
取得資格について
大学関係者と組織
大学関係者一覧
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歴代学長
施設
キャンパス
- 天六学舎(天六キャンパス)は戦前には関西大学専門部、1948年から1993年度まで関西大学第2部各学部の所在地。長らく関西大学の生涯学習の拠点として使用されていたが、2015年度に阪急不動産に売却された。
対外関係
系列校
注釈
注釈グループ
- ^ a b 出典[24]。現在の大阪市北区長柄西1丁目3番22号。関西大学天六学舎に当たる。
- ^ a b c 商業経営専攻、工業経営専攻からなっていた[16]。
- ^ a b 昭和31年度より学生募集停止[3][4]。
- ^ a b 現在の文部科学省。
- ^ a b 最終募集となった1955年における体制[25]。
補足
出典
- ^ 短期大学一覧 昭和33年度 (短期大学資料 ; 第19号)より。
- ^ 官報 1950年09月14日より。
- ^ a b 関西大学教育後援会'1989.6.
- ^ 関西大学七十年史-338コマ目-より。
- ^ 科学技術年鑑 1959年版より。
- ^ 学校年鑑 1959より。
- ^ 関西大学百年史 資料編-436コマ目-より。
- ^ 関西大学百年史 資料編-435コマ目-より。
- ^ 文部省a, p. 39.
- ^ 文部省b, p. 3.
- ^ 日本教育年鑑より。
- ^ 全国学校名鑑 昭和25年版より。
- ^ 旺文社1950-01, p. 89.
- ^ 関西大学七十年史-336コマ目-より。
- ^ 文部省c, p. 4.
- ^ a b 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和25年5月1日現在より。
- ^ 文部省d, p. 9.
- ^ 関西大学百年史 通史編 上巻より。
- ^ 大阪府統計年鑑 昭和26年版より。
- ^ 関西大学百年史 資料編-442コマ目-より。
- ^ 文部省'54, p. 1380.
- ^ 短期大学一覧 昭和34年度 (短期大学資料 ; 第23号)より。
- ^ 標準日本地図 : 付・市町村字名大鑑より。
- ^ 短期大学一覧 昭和30年度 (短期大学資料 ; 第13号)より。
- ^ 文部省e, p. 43.
- ^ 教員の資格・給与・恩給詳解より。
参考文献
1949年短大設置申請分
- 文部省『申請大学、短期大学等一覧』(PDF)文部省。https://nierlib.nier.go.jp/opac/opac_download_md/EF10000736/006_231.pdf。
- 文部省『短期大学審査状況』(PDF)文部省。https://nieropac.nier.go.jp/opac/opac_download_md/EF10000779/006_275.pdf。
- 旺文社『蛍雪時代 19(10);昭和25年1月號』旺文社。https://dl.ndl.go.jp/pid/11696244。
- 文部省『短期大学審査状況-認可分-』(PDF)文部省。https://nierlib.nier.go.jp/opac/opac_download_md/EF10000780/006_276.pdf。
- 文部省管理局管理課『昭和25年5月1日現在 短期大学等一覧』(PDF)文部省。https://nierlib.nier.go.jp/opac/opac_download_md/EF10000844/006_340.pdf。
教員養成機関
- 文部省大学学術局『教員養成課程認定大学短期大学一覧 : 附指定教員養成機関一覧. (昭和30年) / (編)』(PDF)文部省。https://nierlib.nier.go.jp/opac/opac_download_md/DG00000271/R03-0610.pdf。
全国学校総覧
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I028943005。
その他
- 関西大学教育後援会/編『関西大学 GUIDE'89』関西大学教育後援会。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I42111000000915078。
関連項目
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