関口夫人
関口夫人(せきぐちふじん、生年不詳 - 1562年)は、戦国時代の女性。関口親永(氏純)の正室で、今川義元の妹(または養妹)とされるが、事実ではないとする否定説もある(後述)。築山殿の母。実名は不詳。
略歴
一般的には義元の妹として知られるが『井伊年譜』『系図纂要』『井家粗覧』などによると井伊氏が今川氏へ人質として送ったところ、義元に惚れられ妾となり、義元は彼女を養妹とした後に家臣の関口親永に嫁がせたとされる[1]。
また、今川義元の姉である瑞渓院(北条氏康の正室)の伝記を執筆した黒田基樹は、義元や瑞渓院の兄弟の出生順位を整理した結果、関口親永(氏純)の妻が義元の姉妹であることは考えにくく[注 1]、親永の実の兄である瀬名氏俊が義元の姉を妻にしたのと混同したものであると結論付けている[2]。
永禄5年(1562年)、駿府の屋敷にて切腹を命じられた夫と共に自害した[3]。
関連作品
脚注
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注釈
出典
参考文献
外部リンク
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