運命の日

曖昧さ回避 この項目では、ドイツ史上の特異日について説明しています。「運命の日」の時計については「世界終末時計」をご覧ください。
曖昧さ回避 THE運命の1日」とは異なります。
共和制宣言を行うシャイデマン。(1918年11月9日)
ミュンヘン一揆に参加するナチス党員。
暴動で破壊されたユダヤ人商店のショーウィンドーのガラス。1938年11月10日撮影。
「旅行許可に関する出国規制緩和」を発表するシャボウスキー。(1989年11月9日

運命の日(うんめいのひ、ドイツ語: Schicksalstag)は、ドイツの歴史、特に20世紀の歴史において、重要な事件がしばしば11月9日に起きた事を踏まえて、この日を指す表現[1]。ドイツの各州文部大臣会議(ドイツ語版)は、各学校におけるこの日に焦点を当てた取り組みを奨励しており[2]、歴史教育の教材として取り上げられることがある[3]

20世紀における特に重要なできごと

運命の日という表現が用いられる際に、ほぼ必然的に言及される事件としては以下のようなものがある。

以上のうち、ナチスが絡むミュンヘン一揆水晶の夜は、ドイツ革命の記念日に意図的に合わせたものとも考えられている[5]

19世紀以前のおもなできごと

運命の日という表現とともに言及されることがある19世紀以前の事件としては以下のようなものがある。

20世紀におけるおもなできごと

上記以外に、運命の日という表現とともに言及されることがある20世紀の事件としては以下のようなものがある。

「運命」への懐疑

ドイツの歴史家ブルクハルト・アスムス(ドイツ語版)は、ナポレオン・ボナパルトによるブリュメールのクーデターも、ロシアの十月革命においてウラジーミル・レーニンを議長に人民委員会議を設立したのも(ユリウス暦では10月27日だが)、グレゴリオ暦では11月9日にあたるとした上で、ナチス関係の事件が、ドイツ革命の記念日、それを意識したミュンヘン一揆の記念日に絡んで生じたものと考えられることを指摘し、「運命」を強調することへの懐疑を述べている[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 西原史暁. “11月9日のドイツ史”. 西原史暁. 2016年1月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f “"Schicksalstag" 9. November”. Landeszentrale für politische Bildung Baden-Württemberg. 2016年1月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e “Der 9. November - Ein Schicksalstag der deutschen Geschichte” (PDF). school-scout.de/e-learning-academy AG. 2016年1月10日閲覧。
  4. ^ a b c d “Ein deutscher Schicksalstag”. Deutsche Welle (2012年11月9日). 2016年1月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g Asmuss, Burkhard (2010年). “Der 9. November – Schicksalstag der Deutschen?”. LeMO - Lebendiges Museum Online. 2016年1月10日閲覧。
  6. ^ a b c d e Wolffsohn, Michael (2014年11月9日). “Der deutsche Schicksalstag – eine Archäologie”. Die Welt. http://www.welt.de/politik/deutschland/article121705353/Der-deutsche-Schicksalstag-eine-Archaeologie.html 2016年1月10日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • Geschichte aus dem Archiv: Der Schicksalstag 9. November - BR Mediathek Video