祝子内親王
祝子内親王(しゅくしないしんのう、のりこないしんのう、生没年不詳)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族、歌人。
生涯
花園天皇の第5皇女で、母は従三位・葉室頼任の娘、頼子(冷泉局)。貞和2年(1346年)2月20日に内親王となる[1]が、その他の動向についてはよくわかっていない。父や異母姉の儀子内親王と同じく京極派の歌人として活躍し、『風雅和歌集』に十首が入る[2]。
『花園天皇宸記』には、元亨3年(1323年)8月28日に「女王」が着袴を行ったという記事が見えるが、この女王を祝子と同一人物とすれば正和4年(1315年)生まれで、後伏見天皇の生母五辻経子に養育され、元亨4年(1324年)の経子の死去を受けて10歳で出家したことになる。
脚注
[脚注の使い方]
内親王(飛鳥時代 - 江戸時代) | |||||
---|---|---|---|---|---|
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 | |||||
飛鳥時代 | |||||
奈良時代 | |||||
平安時代 |
| ||||
鎌倉時代 | |||||
南北朝時代 |
| ||||
室町・ 安土桃山時代 |
| ||||
江戸時代 | |||||
カテゴリ |