小ヶ倉村

こがくらむら
小ヶ倉村
廃止日 1938年4月1日
廃止理由 編入合併
小榊村土井首村小ヶ倉村西浦上村長崎市
現在の自治体 長崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
西彼杵郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,231
(国勢調査、1935年)
隣接自治体 長崎市、西彼杵郡茂木町、土井首村
小ヶ倉村役場
所在地 長崎県西彼杵郡小ヶ倉村
座標 北緯32度42分20秒 東経129度50分58秒 / 北緯32.70561度 東経129.84956度 / 32.70561; 129.84956座標: 北緯32度42分20秒 東経129度50分58秒 / 北緯32.70561度 東経129.84956度 / 32.70561; 129.84956
特記事項 1898年9月31日まで、戸町村との組合村を設置していた。
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小ヶ倉村(こがくらむら)は、長崎県南部の長崎半島にあった村。西彼杵郡に属した。1938年(昭和13年)に小榊村土井首村西浦上村とともに長崎市に編入された。

現在の長崎市小ヶ倉地区、及び中央地区の一部にあたる。

地理

野母半島(長崎半島)の北部に位置する。

  • 山:熊ヶ峰、戸町岳、大久保山
  • 河川:鹿尾川、戸町川
  • 池沼:小ヶ倉水源地
  • 港湾・海域:長崎湾

歴史・沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西彼杵郡小ヶ倉村が単独村制にて発足。
  • 1898年(明治31年)10月1日 - 戸町村の一部(上郷・簑尾郷)を当村に編入[1]
    • 同日、戸町村の残部が長崎市に編入し、自治体として消滅。戸町村との組合村を解消。
  • 1921年(大正10年) - 村内でコレラ患者が9人発生。うち4人が死亡[2]
  • 1926年(大正15年) - 鹿尾川の上流部に建設されていた「小ヶ倉水源地」竣工。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 小榊村土井首村西浦上村とともに長崎市に編入し、小ヶ倉村は自治体として消滅。

地名

旧来の小ヶ倉村域では彼杵地域の各自治体で見られるの行政区(地名)を設置していない。また、1889年の町村制施行時に合併を行っていないため、大字も存在しない[3]。このため、戸町村から編入した上郷・簑尾郷を除く地域においては「小ヶ倉村○○番地」のように村名の次に地番を表示する住所表記となる。

  • (大字・郷・名なしの区域)[3]
  • 上郷 - 1898年、戸町村より編入。
  • 簑尾郷 - 1898年、戸町村より編入。

名所・旧跡

  • 国際海底電線小ヶ倉陸揚庫[4][5]

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 42 長崎県
  • 西彼杵郡現勢一班「小ヶ倉村現勢概要」(1926年)国立国会図書館デジタルコレクション
  • 市域の変遷(長崎市例規集)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 長崎縣告示第百二十九號 町村廃置分合の件〔1〕、〔2〕 長崎県公報 明治31年7月22日付
  2. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p345 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  3. ^ a b 但し『西彼杵郡現勢一班』小ヶ倉村現勢概要のうち「五、大字及郷」の項目には、大字・郷・名なしの区域を指すものとみられる小ヶ倉郷が記載されている。
  4. ^ デンマークの企業である大北電信会社1871年(明治4年)に日本初となる海底ケーブルを長崎-上海間・長崎-ウラジオストク間に敷設。陸揚室を小ヶ倉村の千本山に設置した。
  5. ^ 国際海底電線小ヶ倉陸揚庫 長崎県の文化財

関連項目

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