堀幸一

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堀 幸一
千葉ロッテマリーンズ 二軍打撃コーチ #75
2017年11月4日鴨川市営球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県長崎市
生年月日 (1969-04-02) 1969年4月2日(55歳)
身長
体重
182 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1987年 ドラフト3位
初出場 1989年4月9日
最終出場 2009年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
  • 海星高等学校
  • ロッテオリオンズ
    千葉ロッテマリーンズ (1988 - 2010)
コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2013 - )
この表について
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堀 幸一(ほり こういち、1969年4月2日 - )は、長崎県長崎市出身[1]の元プロ野球選手内野手外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズの二軍打撃コーチを務める。

経歴

プロ入りまで

海星高等学校では左翼手として1987年春の選抜に出場。1回戦で京都西高に敗退[2]夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが長崎商に敗れる。同年のドラフト会議でロッテオリオンズに3位指名され入団。

現役時代

入団直後のキャンプでは、佐藤幸彦大村巌のバッティングに圧倒され自信を喪失した。長崎にいる堀の両親も、3年ともたないだろうと周囲に漏らしていた[3]

1989年開幕当初より一軍に定着し、4月14日の対近鉄バファローズ戦で谷崎浩二からプロ初安打を放つ[3]。同年は二塁手として21試合に先発出場を果たす。

1991年に背番号を5に変更すると、二塁手のレギュラーに定着。初めて規定打席(8位、打率.284)に到達する。同年は20本塁打を記録し、36試合で4番打者を任され、「年俸が12球団一安い4番打者」と評された。堀の本塁打はこれ以降も続き、1998年に通算で1番から9番までの全打順本塁打を達成し、その後も中距離打者として長らくレギュラーを守った。

1995年は遊撃手にコンバートし3番に定着。初の3割を記録し、チーム10年ぶりとなるAクラス躍進に貢献。打率.309はイチローに次ぐリーグ2位。

1996年はリーグ3位の打率.312(キャリアハイ)の成績を残した。

1997年、新人の小坂誠が遊撃手としてレギュラーになったこともあり、再び二塁手にコンバートされた。

1998年フリオ・フランコが3年ぶりに再入団し、二塁手を希望したことで外野へコンバートされた。

1999年、フランコの退団で再び二塁に戻ったが、不振や怪我に苦しみ、翌年以降は守備力の高い酒井忠晴が優先的に起用される。2001年は二塁手としての出場がなかった。

2002年、二塁手として85試合に出場。外野での出場も含めて、再びレギュラーへ復帰する。

2003年、チームの主力選手として自己最高の22本塁打78打点をマークし、この年だけで全打順での先発出場を達成した。打順は3番か6番が多かったが、後半戦は4番として活躍し、チームの勝利に貢献した。

2005年は主に2番打者で活躍し、チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献した。シーズン終了間際で規定打席に到達し、9年ぶりの3割となる打率.305の成績でリーグ8位を記録した。パシフィック・リーグ二塁手部門でベストナインを獲得する。18年目での初受賞はパ・リーグ最年長初受賞(当時)となった。

2006年からは調子を落とし、スタメンを外れる試合も多くなった。代打でも結果を残せず、打率も2割台前半に落ちた。

2007年7月7日にシーズン1号本塁打を放ち、有藤道世が持っていた18年連続本塁打のチーム記録を更新する19年連続本塁打となった。守備では青野毅の故障、今江敏晃の不調などにより、久々に三塁手でスタメン出場したものの、ホセ・オーティズの加入で再び出番が減った。

2008年4月12日、途中出場ながら自身初となる一塁手の守備に就いた。8月20日の対北海道日本ハムファイターズ戦では一塁手で先発出場し、史上40人目(球団史上3人目)となる通算2000試合出場を果たした。しかし、打撃成績は前年より落ち、本塁打も1988年以来となる0本に終わったため、20年連続本塁打はならなかった。

2009年は、ホセ・オーティズフリオ・ズレータが前年オフに揃って退団したこともあり、出番が増加。堀も打率.259、4本塁打ながら得点圏打率.423、代打打率.417と、ここ一番での勝負強さを見せた。6月11日の対広島戦では、1イニング最多となる15得点を記録した6回の途中から福浦和也(この回2打席目)の代走として出場、その後も攻撃が続き「代走」のまま打席が廻ってくるという珍事があった。7月5日に2年ぶりに三塁でスタメン出場するが、これはヘッドコーチの西村徳文ボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際、正三塁手・今江敏晃の愛称である「ゴリ」と「」を聞き間違えたことによるミスだった。結局、堀は第1打席で左翼へ犠牲フライを放ったのち、次の回の守備で今江と交代した[4]。同オフには球団よりコーチ就任を打診されるが、堀も現役続行を選択した。

2010年は二軍で137打席に立ち打率.333、1本塁打、17打点、OPS.806と好成績を残すも、一軍出場がなく、9月11日、球団より戦力外通告とフロント入りの打診を受ける。その時点で堀は現役続行を希望し、シーズンオフの12球団合同トライアウトを受け、1回目のトライアウトで佐藤誠からホームランを打つなど5打数2安打の成績を残したものの、獲得に名乗りを挙げる球団がなかったことから、12月2日に現役引退を表明し[5][6]、翌3日に千葉マリンスタジアムで引退会見を行った[7]

  • 2011年4月30日 堀幸一選手引退セレモニー。
    2011年4月30日 堀幸一選手引退セレモニー。
  • 胴上げされる堀。
    胴上げされる堀。

引退後

2011年からはニッポン放送およびJSPORTS(MLB中継)の野球解説者を務める。3月12日の対埼玉西武ライオンズ戦を引退試合とする予定[8]だったが、前日の11日に東日本大震災が発生し、この試合を含めた全てのオープン戦が中止され[9]、堀の引退式は4月30日にずれ込んだ。

2012年10月30日、2013年からロッテの一軍打撃コーチを務めると発表された[10]。背番号は752017年まで同職を務めたが、2017年はチーム打率、得点、安打、得点全てリーグ最下位に低迷し、チームも6年ぶりの最下位に終わった[11]

2018年は、二軍打撃コーチ兼育成担当に配置転換された[12]。5月10日には二軍内野守備・走塁コーチに配置転換されたが[13]2019年からは、再び二軍打撃コーチを務めた[14]。その後、2021年は育成総合兼育成打撃コーチを[15]2022年は二軍チーフ打撃コーチを務め[16]2023年からは二軍打撃コーチを務める[17]

選手としての特徴

現役時代

早い時期から「天才」と呼ばれた選手[18]。独特のオープンスタンスから、ゆったりとステップするフォームでボールを呼び込んで打つ[19]。右打ちの上手さはボビー・バレンタイン監督に「太平洋一」と評され(ただし、パシフィック(リーグ)で一という意味の可能性あり)、右へと決めた時の徹底した打撃は走者一塁時の打席で特に発揮された[20]。なお、器用さもありつつ、4番を打つだけの長打力も持ち合わせていた[21]

二塁の守備は安定感があり[19]、他にも外野・三塁・遊撃も守れるユーティリティープレイヤーとして長年チームを支えた[21]

エピソード

  • 千葉マリンでの登場曲はプロパガンダの「p:Machinery」。この曲は1980年代のディスコでの定番の曲で、堀は現役最終年まで使用していた。
  • オフは釣り三昧で過ごす[3]黒木知宏と共にテレビ東京系の釣り紀行番組「釣りロマンを求めて」に出演した事があるが、その時に大型のメジナに逃げられ、本気で悔しがっていた。2011年から解説者を務めるニッポン放送のアナウンサーでもある松本秀夫とも現役時代からの釣り仲間である。
  • 「オフィシャル・ベースボール・ガイド 2010」にて、名前を「幸一」と誤植された[22]。同じ千葉ロッテの塀内久雄が、「塀」の字を「堀」と間違われることはしばしばあったが、珍しく逆の事例となった。
  • ボビー・バレンタインが第一次政権の際にメジャーに連れて帰りたい選手として挙げていた。実際に堀がFA権を取得した際には、指揮していたメッツからオファーが来ている[23][出典無効]
  • 2010年の応援歌刷新後も、唯一、2009年以前の応援歌を引き継いだ[注釈 1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 ロッテ 58 86 77 11 20 6 0 1 29 9 1 2 3 0 4 0 2 15 0 .260 .313 .377 .690
1990 59 141 126 23 34 8 2 6 64 18 2 0 2 1 11 0 1 27 2 .270 .331 .508 .839
1991 110 425 380 53 108 16 1 20 186 69 5 7 5 7 29 0 4 65 6 .284 .336 .489 .825
1992 105 462 409 66 115 25 3 8 170 38 11 4 6 2 43 3 2 63 6 .281 .351 .416 .767
1993 128 568 493 66 122 28 6 6 180 46 18 6 12 4 55 1 4 92 7 .247 .326 .365 .691
1994 92 327 297 38 70 18 2 7 113 36 8 3 4 2 24 0 0 45 6 .236 .291 .380 .671
1995 121 516 457 71 141 18 4 11 200 67 16 3 1 7 49 0 2 93 5 .309 .373 .438 .810
1996 122 527 465 70 145 28 3 16 227 68 8 2 4 2 55 2 1 87 7 .312 .384 .488 .872
1997 131 583 522 53 142 18 2 9 191 47 15 6 1 7 50 3 3 93 8 .272 .335 .366 .701
1998 127 493 444 51 107 24 4 10 169 44 12 5 4 4 39 4 2 85 8 .241 .303 .381 .683
1999 126 493 421 57 112 28 3 8 170 50 5 2 12 2 57 0 1 71 11 .266 .353 .404 .757
2000 87 231 203 38 52 11 0 8 87 29 8 1 3 2 23 2 0 38 5 .256 .329 .429 .758
2001 83 238 193 22 43 7 0 4 62 17 6 3 15 2 28 1 0 50 4 .223 .318 .321 .640
2002 117 445 387 58 98 21 2 14 165 36 4 1 18 2 35 1 3 84 7 .253 .319 .426 .745
2003 130 539 470 78 140 24 0 22 230 78 3 4 4 6 54 1 5 80 9 .298 .372 .489 .861
2004 119 516 445 70 116 23 2 14 185 51 5 2 14 1 55 1 1 88 9 .261 .343 .416 .758
2005 104 421 380 50 116 16 0 7 153 46 2 5 4 4 31 2 2 75 8 .305 .357 .403 .760
2006 87 283 264 19 60 12 1 6 92 23 1 1 1 2 15 0 1 55 8 .227 .270 .348 .618
2007 61 161 150 17 38 10 2 2 58 15 1 1 2 0 8 0 1 41 1 .253 .296 .387 .682
2008 41 104 93 5 19 3 0 0 22 6 2 1 4 0 6 0 1 17 3 .204 .260 .237 .497
2009 56 121 112 13 29 7 0 4 48 17 0 0 2 1 5 1 1 31 4 .259 .294 .429 .723
通算:21年 2064 7680 6788 929 1827 351 37 183 2801 810 133 59 121 58 676 22 37 1295 124 .269 .336 .413 .749

年度別守備成績



一塁 二塁 三塁 遊撃 外野




























































1989 ロッテ - 36 61 55 4 8 .967 2 0 2 0 0 1.000 3 4 2 0 1 1.000 3 2 0 0 0 1.000
1990 - 37 59 67 0 20 1.000 15 10 20 4 1 .822 - -
1991 - 106 257 296 5 52 .991 - 1 0 0 0 0 ---- -
1992 - 104 259 251 8 72 .985 - - -
1993 - 128 319 339 8 83 .988 - - -
1994 - 71 131 158 10 37 .967 - - 23 35 1 0 0 1.000
1995 - 1 0 1 0 0 1.000 2 0 1 0 0 1.000 116 179 310 15 69 .970 -
1996 - - 19 17 21 1 1 .974 95 137 298 15 51 .967 -
1997 - 104 210 263 9 63 .981 39 28 58 0 5 1.000 1 0 1 0 0 1.000 -
1998 - 20 35 34 0 7 1.000 1 0 1 0 1 1.000 1 0 0 0 0 ---- 112 205 5 2 0 .991
1999 - 106 221 304 7 65 .987 17 7 29 3 2 .923 - -
2000 - 61 117 162 7 41 .976 2 3 1 0 0 1.000 1 2 2 0 1 1.000 -
2001 - - 9 1 13 0 1 1.000 - 69 85 0 0 0 1.000
2002 - 85 182 256 6 55 .986 4 2 6 0 1 1.000 1 1 3 1 0 .800 25 27 0 0 0 1.000
2003 - 84 148 278 6 45 .986 6 3 14 0 0 1.000 - 7 12 0 1 0 .923
2004 - 115 234 372 5 76 .992 - - -
2005 - 92 173 247 2 56 .995 - - -
2006 - 78 131 191 4 33 .988 - - -
2007 - 36 55 78 2 12 .985 11 7 13 0 0 1.000 - -
2008 7 29 3 0 4 1.000 21 34 39 2 4 .973 - - -
2009 39 222 17 0 19 1.000 2 2 4 0 1 1.000 1 0 0 0 0 ---- - -
通算 46 251 20 0 23 1.000 1287 2628 3395 85 730 .986 128 78 179 8 12 .970 219 323 616 31 122 .968 239 366 6 3 0 .992

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1998年7月28日、対福岡ダイエーホークス16回戦(北九州市民球場)、1番・中堅手で先発出場 ※史上345人目
  • 1000安打:1998年9月28日、対日本ハムファイターズ24回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に芝草宇宙から左翼へ二塁打 ※史上192人目
  • 100本塁打:1999年9月11日、対オリックス・ブルーウェーブ22回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に高橋功一から中越決勝ソロ ※史上207人目
  • 1500試合出場:2003年5月21日、対オリックス・ブルーウェーブ8回戦(Yahoo!BBスタジアム)、6番・二塁手で先発出場 ※史上138人目
  • 150本塁打:2003年10月8日、対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(Yahoo!BBスタジアム)、8回表に萩原淳から中越ソロ ※史上133人目
  • 1000三振:2004年4月14日、対西武ライオンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏に西口文也から ※史上36人目
  • 1500安打:2004年6月26日、対西武ライオンズ15回戦(石川県立野球場)、1回裏に許銘傑から左前安打 ※史上51人目
  • 300二塁打:2004年9月7日、対福岡ダイエーホークス26回戦(福岡ドーム)、1回表に和田毅から左翼線二塁打 ※史上41人目
  • 2000試合出場:2008年8月20日、対北海道日本ハムファイターズ19回戦(東京ドーム)、2番・一塁手で先発出場 ※史上40人目
  • 350二塁打:2009年9月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス21回戦(クリネックススタジアム宮城)、7回表に佐竹健太から左翼線二塁打 ※史上27人目
その他の記録
  • 8打席連続安打:1990年 ※当時の球団記録
  • 全打順本塁打:1998年5月26日、対西武ライオンズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、テリー・ブロスから ※史上4人目[24][25]
  • 19年連続本塁打:1989年 - 2007年 ※球団記録[26]
  • オールスターゲーム出場:2回(1995年、1996年)

背番号

  • 45(1988年 - 1990年)
  • 5(1991年 - 2010年)
  • 75(2013年 - )

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 2010年も継続使用されたサブロー・福浦・今江は歌詞が変更された。ただし、一軍出場はなかったため、応援歌が演奏される機会はごく僅かな機会に限られた。

出典

  1. ^ “堀 幸一のプロフィール”. 株式会社RIGHTS.(ライツ). https://s-rights.co.jp/member/hori-kouichi 2020年9月7日閲覧。 
  2. ^ 『選抜高等学校野球大会60年史』毎日新聞社編 1989年[要ページ番号]
  3. ^ a b c 雑誌『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社刊)2008年6月23日号43-47ページ『白球入魂「プロ21年目、ゴールはまだ先 - 堀幸一」』
  4. ^ “あれっ「ゴリ」が「ホリ」に?ボビー伝言ミス”. スポニチ Sponichi Annex (2009年7月6日). 2019年10月7日閲覧。
  5. ^ 堀幸一選手 引退のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年12月2日
  6. ^ “【プロ野球】ロッテの堀が引退、9月に戦力外、現役模索も断念”. MSN産経ニュース (2010年12月2日). 2010年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月2日閲覧。
  7. ^ 堀幸一選手が引退会見 - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年12月3日
  8. ^ 堀幸一氏の引退試合について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年2月19日
  9. ^ 3/12(土) オープン戦中止のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年3月11日
  10. ^ “堀幸一氏 一軍打撃コーチ就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2020-10-38). 2021年12月25日閲覧。
  11. ^ “2017年度 パシフィック・リーグ パシフィック・リーグ チーム打撃成績”. 日本野球機構. 2021年12月25日閲覧。
  12. ^ “ロッテ コーチング・スタッフ発表 井口監督「野球観も共通している」” (2017年12月7日). 2021年12月25日閲覧。
  13. ^ “コーチ配置転換のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2018年5月10日). 2021年12月25日閲覧。
  14. ^ “コーチ配置転換のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2018年10月30日). 2021年12月25日閲覧。
  15. ^ “2021年コーチングスタッフ決定のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2020年12月14日). 2020年12月14日閲覧。
  16. ^ “ロッテが来季のコーチングスタッフを発表 木村投手コーチ「勝利を目指していきたい」”. ベースボールキング. (2021年12月14日). https://baseballking.jp/ns/307688 2021年12月25日閲覧。 
  17. ^ “ロッテ、来季のコーチングスタッフを発表”. ベースボールキング (2022年12月14日). 2022年12月14日閲覧。
  18. ^ 『プロ野球スカウティングレポート2006』アスペクト、2006年3月、31頁。ISBN 4-7572-1246-1。 
  19. ^ a b 『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクト、2007年3月、145頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。 
  20. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』白夜書房、2007年4月、52頁。ISBN 978-4-86191-246-7。 
  21. ^ a b “名選手の隠れた宝庫、千葉ロッテマリーンズの名バッター6人”. SPAIA. 2017年10月1日閲覧。
  22. ^ “「オフィシャル・ベースボール・ガイド 2010」 お詫びと訂正のお知らせ | NPBからのお知らせ”. NPB.jp. 一般社団法人日本野球機構. 2023年5月2日閲覧。
  23. ^ 『伊集院光の野球バン!』#37(バーフェクト・チョイス)
  24. ^ 『1999プロ野球プレイヤーズ名鑑』スポーツニッポン新聞社、1999年、165頁。 
  25. ^ “意外なレア記録? 全球団本塁打と全打順本塁打の両方を達成した選手は?”. 週刊ベースボール (2020年4月8日). 2022年6月2日閲覧。
  26. ^ “堀幸一”. VICTORY. 2022年6月2日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 堀幸一 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
  • 75 堀 幸一 選手名鑑 - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト
千葉ロッテマリーンズ 2024
 
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投手
捕手
内野手
外野手
パシフィック・リーグ ベストナイン(二塁手)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
2005年 パシフィック・リーグ ベストナイン
ロッテオリオンズ - 1987年ドラフト指名選手
指名選手