ツァラー・レアンダー

Zarah Leander
ツァラー・レアンダー
本名 Sara Stina Hedberg
生年月日 (1907-03-15) 1907年3月15日
没年月日 (1981-06-23) 1981年6月23日(74歳没)
出生地  スウェーデンヴェルムランド地方ヴェルムランド県カールスタード
死没地  スウェーデンストックホルム
国籍  スウェーデン
職業 歌手・女優
ジャンル 舞台・映画・テレビ
活動期間 1929 - 1979
配偶者 Nils Leander(1927年結婚、1932年離婚)
Vidar Forsell(1932年結婚、1943年離婚)
Arne Hülphers(1956年結婚)
テンプレートを表示

ツァラー・レアンダー(Zarah Leander, 本名:Sara Stina Hedberg, 1907年3月15日 - 1981年6月23日)は、スウェーデン出身の歌手・女優である。

略歴

カールスタードで生まれ、最初の結婚後の1929年に歌手デビューを果たす。1931年には映画デビューの傍ら、舞台『メリー・ウィドウ』主演で注目を集めた。

1936年9月ウィーンアン・デア・ウィーン劇場においてラルフ・ベナツキーのミュージカル・コメディ『アクセル、天国の扉の前で』(Axel an der Himmelstür)に出演し、大成功を収める。それがきっかけで、帝国映画院副総裁ハンス・ヴァイデマンと映画監督カール・フレーリッヒにより、ドイツ映画界進出を持ち掛けられた[1]。同年ドイツ最大の映画会社ウーファと3本の映画出演とシナリオ選択権付の専属契約を結んだ。ウーファ社は、レアンダーを「新たなガルボ」として売り出すという目的のもと、社の総力を挙げた宣伝活動を行っている[2]。デトレフ・ジールク(ダグラス・サーク)監督の映画『世界の涯てに』(1937)に主演して一躍ドイツ映画のトップスターの地位に躍り出る。

1943年に一時帰国するが、第二次大戦後は再びドイツでの活動を再開し、主に歌手として70年代まで活動を続けた。

主な映画出演

  • 世界の涯てに Zu neuen Ufern (1937)
  • 南の誘惑 La Habanera (1937)
  • 故郷 Heimat (1938)
  • さんざめく舞踏会の夜 Es war eine rauschende Ballnacht (1939)
  • イタリア式愛のテクニック Come imparai ad amare le donne/Das gewisse Etwas der Frauen (1966)

参考文献

  • 瀬川裕司『ナチ娯楽映画の世界』(平凡社、2000)
  • クラウス・クライマイアー著/平田達治・山本佳樹訳『ウーファ物語(ストーリー)―ある映画コンツェルンの歴史―』(鳥影社、2005)

脚注

  1. ^ クラウス・クライマイアー著『ウーファ物語(ストーリー)―ある映画コンツェルンの歴史―』p528
  2. ^ この宣伝活動の詳細に関しては、クライマイアー著『ウーファ物語』p529~531に詳述

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ツァラー・レアンダーに関連するカテゴリがあります。
  • ツァラー・レアンダー - allcinema
  • ツァラー・レアンダー - KINENOTE
  • Zarah Leander - IMDb(英語)
  • Zarah Leander - Discogs
  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
    • 2
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ノルウェー
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イタリア
  • イスラエル
  • フィンランド
  • ベルギー
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • ラトビア
  • チェコ
  • オランダ
  • ポーランド
芸術家
  • KulturNav
  • MusicBrainz
人物
  • BMLO
  • Deutsche Synchronkartei
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • RISM
  • SNAC
  • IdRef