コンスタンタン・ムーニエ

コンスタンタン・ムーニエ
Constantin Meunier
誕生日 1831年4月12日
出生地 ベルギー,エテルベーク
死没年 1905年4月4日
死没地 ベルギー,イクセル
テンプレートを表示

コンスタンタン・ムーニエ(Constantin Meunier、1831年4月12日 - 1905年4月4日)はベルギー画家彫刻家である。工場労働者などを題材にした作品を製作した。

略歴

エテルベークの労働者階級の家に生まれた。父親はムーニエが4歳の時に生活苦から自殺したとされる。1845年に14歳のムーニエはブリュッセル王立美術アカデミーに入学し、1848年から彫刻家のルイ・ジェオット(Louis Jehotte)に学んだ。彫刻家のシャルル・オーギュスト・フレカンのスタジオで3年間助手をした。

彫刻家としての活動を止めて、画家として活動を行い、宗教的な主題の作品や農民戦争などの歴史画も描いた。1880年代にスペインなどを旅した後、鉱夫や工場労働者を多く描くようになり、1880年代になって、再び彫刻の製作を始めた。1886年以降は彫刻家としての活動が主になり、広く知られるようになった[1] 。1896年にパリの展覧会でも大きな成功を収め、ジョルジュ・ミンヌと並んで、ベルギーを代表する彫刻家とされる。

1868年にシャルル・ド・グルー(Charles de Groux: 1825-1870)やフェリシアン・ロップス(1833-1898)らと、ブリュッセルに自由美術協会(Société Libre des Beaux-Arts)を設立した。1887年から1896年の間はルーヴェンの美術学校の教授を務めた。

イクセルで亡くなった。1936年にブリュッセルのムーニエのスタジオは州政府に買い上げられ、ムーニエ美術館(Constantin Meunier Museum)として1939年から一般公開された。

甥のアンリ・ムーニエ(Henri Meunier:1873-1922)はアール・ヌーヴォーのイラストレーターとして知られている。

作品

絵画

  • 農民戦争
    農民戦争
  • 「坑夫の立坑への入坑」(1882)
    「坑夫の立坑への入坑」(1882)
  • 「船からの荷下ろし」
    「船からの荷下ろし」
  • 圧搾機を操作する男
    圧搾機を操作する男

彫刻

  • 「坑夫」
    「坑夫」
  • 「種播く人」
    「種播く人」
  • 休息する鋳造労働者
    休息する鋳造労働者
  • 港湾労働者
    港湾労働者

脚注

  1. ^ Stefan Dürre (2007), Seemanns Lexikon der Skulptur (ドイツ語), Leipzig: E. A. Seemann Verlag, pp. 271 (mit Bild: Denkmal der Arbeit), ISBN 9783865021014

参考文献

  • Konstantin Meunier. In: Der Wahre Jacob. Nr. 755 vom 25. Juni 1915, S. 8710–8712
  • Constantin Meunier 1831–1905. Skulpturen, Gemälde, Zeichnungen. Ausstellungskatalog. Hamburg: Ernst Barlach-Haus, 1998
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ノルウェー
  • スペイン
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イスラエル
  • ベルギー
    • 2
    • 3
  • アメリカ
  • 日本
  • チェコ
  • オランダ
  • ポーランド
  • ポルトガル
  • バチカン
芸術家
  • ベルリン芸術アカデミー
  • 南オーストラリア美術館
  • KulturNav
    • 2
  • オルセー美術館
  • カナダ国立美術館
  • オランダ美術史研究所データベース
  • シュテーデル美術館
  • ULAN
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • SNAC
  • IdRef