アレックス・オルメド

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はオルメド第二姓(母方の姓)はロドリゲスです。
アレックス・オルメド
Alex Olmedo
アレックス・オルメド
基本情報
フルネーム Alejandro Olmedo Rodríguez
国籍 ペルーの旗 ペルー
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペルー・アレキパ
生年月日 (1936-03-24) 1936年3月24日
没年月日 (2020-12-09) 2020年12月9日(84歳没)
身長 185cm
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1987年
4大大会最高成績・シングルス
全仏 優勝(1959)
全英 2回戦(1972)
全米 優勝(1959)
優勝回数 2(豪1・英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全米 優勝(1958)
優勝回数 1(米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全米 準優勝(1958)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1958)
テンプレート  ■プロジェクト テニス

アレックス・オルメドAlex Olmedo, 1936年3月24日 - 2020年12月9日)は、ペルーアレキパ出身の男子テニス選手。フルネームは Alejandro Olmedo Rodriguez (アレハンドロ・オルメド・ロドリゲス)という。同国が生んだ最大のテニス選手で、1959年全豪選手権ウィンブルドン選手権で4大大会年間2冠を獲得した。彼はアステカ民族とスペイン人の混血の子孫であり、身長185cmほどのどっしりした体格とインカ風の顔立ちに生やした“帝王のような”あごひげから、南カリフォルニア大学在学中につけられた“Chief”(長)というニックネームで呼ばれた。オルメドのテニスは、攻撃的なボレーで攻める果敢なネット・プレーを最大の持ち味とした。

来歴

アレハンドロ・オルメドは故郷のペルーテニスを覚えたが、南カリフォルニア大学在学中に「南カリフォルニア・テニス協会」会長のペリー・ジョーンズ(1890年 - 1970年)と出会い、彼の後援を受けるようになった。1958年の全米選手権で、オルメドは男子ダブルスでハミルトン・リチャードソン(1933年 - 2006年)とペアを組み、4大大会初優勝を果たす。当時のペルーにはデビスカップのチームがなかったため、ジョーンズは1958年度のデ杯アメリカ代表監督として、オルメドにデビスカップのアメリカ代表選手として出場する機会を与えた。[1] アメリカ人ではない選手がデ杯の米国代表に起用されたのは、オルメドが唯一のケースであったが、当時は米国メディアから大きな批判があったという。1958年12月、オルメドはデ杯「ワールドグループ」準決勝の対イタリア戦と、決勝の対オーストラリア戦でそれぞれ出場3試合に全勝し、アメリカ代表チームの優勝に貢献した。

アレックス・オルメドは1958年日本を訪れ、全日本テニス選手権に出場したことがある。この年は大阪市内の「うつぼ公園コート」で大会が行われ、オルメドは男子シングルス決勝でハミルトン・リチャードソンに 2-6, 1-6, 1-6 で敗れて準優勝になった。(全日本テニス選手権男子シングルス優勝者一覧を参照のこと。)

1959年にオルメドのテニス経歴は最盛期を迎え、全豪選手権とウィンブルドン選手権の男子シングルスで優勝を飾った。全豪選手権の決勝ではニール・フレーザーを 6-1, 6-2, 3-6, 6-3 で破り、ウィンブルドン選手権ではロッド・レーバーに 6-4, 6-3, 6-4 のストレートで完勝した。デビスカップのアメリカ代表選手だったことから、どちらの公式優勝記録表にもオルメドの国籍は「USA」と記載されているが、彼はペルー人選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。しかし、8月末に開かれたデ杯決勝でアメリカはオーストラリアに2勝3敗で敗れ、第1試合でオルメドは全豪決勝で破ったニール・フレーザーに苦杯を喫し、第3試合のダブルス戦も落とした。直後の全米選手権決勝でもフレーザーに 3-6, 7-5, 2-6, 4-6 で敗れ、4大大会年間3冠獲得を逃している。オルメドが4大大会で戦っていた時代、彼の好敵手はフレーザーであった。

アレックス・オルメドは1960年からプロテニス選手に転向し、以後はプロツアーへ戦いの場を移す。1987年国際テニス殿堂入りを果たし、1999年からはアメリカ市民権を取得して米国市民となった。(オルメドの時代になかったデビスカップペルー代表チームは、1968年から機能するようになった。)

4大大会優勝

  • 全豪選手権 男子シングルス優勝:1959年
  • ウィンブルドン選手権 男子シングルス優勝:1959年
  • 全米選手権 男子ダブルス優勝:1958年 [男子シングルス準優勝:1959年]
大会 対戦相手 試合結果
1959年 全豪選手権 オーストラリアの旗 ニール・フレーザー 6-1, 6-2, 3-6, 6-3
1959年 ウィンブルドン選手権 オーストラリアの旗 ロッド・レーバー 6-4, 6-3, 6-4

外部リンク

1905 · ロドニー・ヒース 1906 · アンソニー・ワイルディング 1907 · ホーレス・ライス 1908 · フレッド・アレクサンダー 1909 · アンソニー・ワイルディング 1910 · ロドニー・ヒース 1911 · ノーマン・ブルックス 1912 · ジェームズ・パーク 1913 · アーニー・パーカー 1914 · アーサー・オハラウッド 1915 · ゴードン・ロウ 1916-18 第一次世界大戦 1919 · アルガーノン・キングスコート 1920 · パット・オハラウッド 1921 · リス・ゲメル 1922 · ジェームズ・アンダーソン 1923 · パット・オハラウッド 1924・25 · ジェームズ・アンダーソン 1926 · ジョン・ホークス 1927 · ジェラルド・パターソン 1928 · ジャン・ボロトラ 1929 · コリン・グレゴリー 1930 · エドガー・ムーン 1931-33 · ジャック・クロフォード 1934 · フレッド・ペリー 1935 · ジャック・クロフォード 1936 · エイドリアン・クイスト 1937 · ビビアン・マグラス 1938 · ドン・バッジ 1939 · ジョン・ブロムウィッチ 1940 · エイドリアン・クイスト 1941-45 第二次世界大戦 1946 · ジョン・ブロムウィッチ 1947 · ディニー・ペイルズ 1948 · エイドリアン・クイスト 1949・50 · フランク・セッジマン 1951 · ディック・サビット 1952 · ケン・マグレガー 1953 · ケン・ローズウォール 1954 · メルビン・ローズ 1955 · ケン・ローズウォール 1956 · ルー・ホード 1957・58 · アシュレー・クーパー 1959 · アレックス・オルメド 1960 · ロッド・レーバー 1961 · ロイ・エマーソン 1962 · ロッド・レーバー 1963-67 · ロイ・エマーソン 1968 · ビル・ボウリー

全豪オープン(オープン化以後)男単 || 女単 | 男複 • 女複 • 混複
イギリスの旗 ウィンブルドン(1877–1967)男子シングルス優勝者
全米オープン(オープン化以後)男複 || 男単 ? 女単 | 女複 ? 混複
20・30年代
40・50年代
  • (1940年)村上保男&堀越春雄
  • 1941年 大会開催なし
  • (1942年)村上保男&堀越春雄
  • 1943年-45年 大会開催なし
  • (1946年・47年)藤倉五郎&鶴田安雄
  • (1948年)田辺信&岡田収
  • (1949年)中野文照&鵜原謙造
  • (1950年)堀越春雄&清水弥次郎
  • (1951年)隈丸次郎&アーサー・ラーセン
  • (1952年)中野文照&隈丸次郎
  • (1953年)村上麗蔵&鵜原謙造
  • (1954年・55年)宮城淳&加茂公成
  • (1956年)加茂礼仁&加茂公成
  • (1957年)宮城淳&柴田善久
  • (1958年)ハミルトン・リチャードソン&アレックス・オルメド
  • (1959年)バリー・マッケイ&マイロン・フランクス
60・70年代
  • (1960年)宮城淳&柴田善久
  • (1961年)平野一斉&藤井道雄
  • (1962年)石黒修&藤井道雄
  • (1963年)古田壌&森良一
  • (1964年)石黒修&渡辺功
  • (1965年)石黒修&渡辺康二
  • (1966・67年)渡辺康二&渡辺功
  • (1968年)渡辺康二&河盛純造
  • (1969年)小林功&渡辺功
  • (1970年)河盛純造&小浦猛志
  • (1971年-73年)坂井利郎&神和住純
  • (1974年-76年)坂井利郎&平井健一
  • (1977年)倉光哲&金玟一
  • (1978年)本村行&内山悦男
  • (1979年)西尾茂之&坂本真一
80・90年代
00・10年代
男単 •女単 | 女複 • 混複